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中国のウサギは波瀾万丈!

 春節を迎え、中国はやっと本当のウサギ年到来です。干支にあるのは基本的に馴染み深い動物なので、ウサギもいろいろな場面に登場してきます。ことわざに登場するウサギを追ってみると、中国のウサギの波瀾万丈が見えてきます。

●頭が良さそうで意外に間抜け?

 先ずは頭が良さそうなイメージの「狡兔三窟[jiǎotùsānkū]」。直訳すると「ずる賢いウサギは三つの巣を持っている」で、危険が迫ったときに備えて多くの逃げ道を用意していること。単純に「逃げ道をたくさん用意している」という例えでもあり、また、災難に備えて用意周到であることの表現でもあります。
 次はお馴染みの「守株待兔[shǒuzhūdàitù]」です。日本語でも「株を守りて兎を待つ」のことわざになりました。童謡「🔗待ちぼうけ」の元ネタだと言えばお分かりですね。このウサギはなんとも間抜けで、木株にぶつかって死にます。で、それを見ていた農夫はもっと間抜けだった、というお話です。
 たなぼたなんぞ期待しちゃんいかん!という戒めである他、昔の成功体験に執着して、進歩できない例えでもあります。なぜウサギ?あの脱兎のごとくスピードで木株にぶつかれば、確かに死ぬかもと思わせるのに、丁度良かったのでしょう。

●他にもやたら死ぬ役が多い

 今度は「兔死狗烹[tùsǐgǒupēng]」を見てみましょう。日本語のことわざ「狡兎死して走狗烹らる」の原典ですね。ウサギが死んでいなくなれば、狩りの猟犬は不要になって、煮て食べられてしまう…価値がなくなれば捨てられるという、冷徹な現実を語っています。憐れむべきは走狗の方ですが、ウサギはその恰好の獲物として、とばっちりを受けた形です。
 もう一つとばっちりを受けるのが「兔死狐悲[tùsǐhúbēi]」です。ウサギが死ぬのを見たキツネが「明日は我が身」と悲しみます。日本にも「同類相憐れむ」ということわざがありますが、それと似たような使われ方をしています。ここでもウサギが死ぬ役を押し付けられるあたり、どうも損な役回りなのですね。ちょっとかわいそう…

●ウサギだってやるときゃやる!

 でも、ウサギだって逃げたり死んだりばかりではないぞ!
 「兔子急了也咬人[tùzijíleyěyǎorén]」みたく反撃するのです。日本語で言えば「窮鼠猫を嚙む」ですね。ちょっと違うのは、中国のウサギがかみつくのは人!なんか気持ち分かるな…

 さて、ことわざではありませんが、ウサギが月に行ったお話も。森の中で行き倒れそうになった老人を見て、動物たちは自分の得意とする食べ物を差し出して助けようとします。猿は木の実を、キツネは魚を…でもウサギには何もありません。そこでウサギは自ら火に飛び込み(やっぱり死ぬんかーい!)、自分の身を焼いて老人に捧げます。これに老人は感激し、本来の姿である帝釈天「帝释天[Dìshìtiān]」に戻って、ウサギに永遠の命を与えて月に住まわせます。そう、これが月の女神🔗常蛾の神話にある玉兎の起源であり、アジア各地に伝わる「月の兎」の由来なんですね。
 ことわざの中で踏んだり蹴ったり、波瀾万丈だったウサギ、こうして天界の住人になったわけで、めでたしめでたしです。

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