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12.242024
孔子は弟子で偉くなった?
写真出典:yahoo.co.jp
こんにちは!
えー、いきなり質問です。孔子ってどんな人?
う~ん、なんか偉い人…論語の作者…儒教の開祖…世界に知られた思想家…やっぱ偉い人だよね?
まぁそうだけど、でもそれは弟子たちの活躍なしにはあり得なかったかもよ?
今回は、弟子たちをして人間・孔子に魅せられた訳を考えてみましょう。
写真出典:image.baidu.com
◆わしは論語など知らんぞい
孔子=「論語の作者」というイメージがありますが、実は、書いたのは何世代にもわたる弟子たちです。
彼らは師の言葉を書き留め、それをまた次世代に伝え…。
このような世代を超えた連係プレーの結晶が論語です。
だから「子曰く=先生が仰るに」という文で始まるのね。
儒教も400年後の漢王朝によって確立されたもので、孔子の思想を上手く統治に利用したとも言われます。
国家に利用されるほど、孔子の思想は時代を超えて、その信奉者を増やしていったということになります。
その立役者は三千人いたとも言われる弟子たち。
ではどうやって彼らは孔子の下に集い、教えを広めたのか?
その一つは孔子が長期間各地を流浪したことです。
仕官を求めてあちこちへ行くも、仕官はならず…。
でも結果的に各地で弟子を増やしていったのです。
写真出典:yahoo.co.jp
◆実は苦労人からの叩き上げ
もう一つは孔子の人間的魅力です。本名を孔丘といい、先生に対する尊称で「孔先生」みたいな感じ。
偉い先生だからさぞかし上流出身かと思いきや、意外にも軍人が不倫してできた子と言われています。
父の偉大な体躯を受け継ぎ、身長は驚愕の2m超え!
この高さから説教されたら、嫌でも言うことを聞きますね。
もう目立つのは間違いなし!その上勉強熱心だったので、早くして孤児になった運命にも負けず、
役人に仕官し、裁判や外交を司るまでに至ります。
しかし政変により、🔗魯「鲁[Lǔ]」での職を辞し、他国でその理想を実現すべく、各地を回ります。
が、苦労の連続で、命の危険にも度々遭遇。
一般では経験し得ない人生の栄華と辛酸を味わいます。
こんな波乱万丈を経たからこそ、孔子の言葉は、人々の心を捉え、その共感を得られたのでしょうね。
写真出典:image.baidu.com
◆コンサルにして最初の私立学校を創設
鋭い人間観察力と社会や歴史に対する豊かな知識で、孔子は人々の数多な悩みに的確な指標を示しました。
正に有能なコンサルだったわけですが、そんな中で、
理想の社会を実現してくれる人材を育成していきたい
との思いを強くしていったに違いありません。
だからこそ、孔子は入門者の貴賤を問わず、情熱ある者は誰でも門下に受け入れていきました。
当時の公的教育施設が上流階級だけを受け入れていたのと比べると、これは正に画期的で、
私立学校の草分け的存在だと言えます。
また、孔子は役人との関係を生かして、弟子たちの仕官推薦にも積極的で、
やがて彼の門下生が各国で政治家、軍事家、経営者、学者として活躍していきます。
この斬新な学習&就活のシステムを構築したことこそ、彼の弟子を多数たらしめ、
彼の思想を後世にまで残すもう一つの大きな要因となったことは想像に難くありません。
後の国策的な儒教による神格化が著しい孔子ですが、彼自身は独創的なアイデアと行動力で未来を切り開いた
歴史的ベンチャー起業家だったのかも知れませんね。