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世界のオザワと中国の深い縁

写真出典:yahoo.co.jp

皆様こんにちは!

世界で活躍する大谷翔平選手の結婚発表は、野球がマイナーな中国でも大きな話題となりました。

その少し前、もう一人の偉大な日本人の訃報が中国を震撼させました。

「世界のオザワ」こと、小澤征爾さんです。

今回は、この世界的な指揮者が持つ中国との深い縁を見てみましょう。


写真出典:yahoo.co.jp

◆生れは中国東北

小澤さんが生まれたのは今の遼寧省瀋陽市、かつて大戦中に日本が「満州国」と呼んだ地域です。

当時日本からは多くの家族が開拓団としてこの地に移住。
小澤さん一家もその一つでした。

瀋陽(当時の奉天)で生まれた小澤さんは、その後北京に移り、5歳まで過ごします。
この経験が小澤さんに「故郷は北京」と言わしめ、後々まで続く中国への深い愛情を育んだのです。

しかし、戦争の影が濃くなる中、小澤さん一家は北京を離れざるを得なくなりました。
そして、次に戻って来るのは、37年もあとのことです。


写真出典:image.baidu.com

◆世界のオザワとなって里帰り

小澤さんが去った北京では長い混乱が続きます。

日中戦争、国共内戦を経て共産党政権が樹立。
そして、激烈な政争の舞台となった北京には、1966年から文化大革命の巨大な嵐が吹き荒れます。

このいわゆる文革では、伝統的なものだけでなく、西洋的な文化も憎悪と破壊の対象となり、
中国の西洋音楽も壊滅状態となったのです。

10年後にようやく収まった嵐の後で、中国の音楽家たちに希望の光を与えたのが
世界的名声を勝ち取り、北京を故郷と呼ぶ小澤征爾さんの「里帰り」だったのです。

文革の影響がまだ残っていた1978年、楽器も楽譜も満足に揃わない中で、
どうにか再結成された北京中央楽団に、なんと「世界のオザワ」が指導に来たのです。


写真出典:image.baidu.com

◆オザワから世界へ羽ばたく音楽家

この時の北京公演は中国でも大きく報じられ、文革に疲弊した人々を大いに勇気付けたのです。

文革中には西洋音楽を聞くことさえ攻撃の対象となり、ましてやオーケストラなど想像もできませんでしたが、
小澤さんの全身全霊を込めた指揮の下で、10年ぶりに堂々と楽器を奏でることの喜びを全ての楽団員が噛みしめ、
観客もまたこの「小さな巨人」に心からの称賛を送りました。

この公演の観客から、後に世界へと羽ばたく中国人の音楽家が何人も生まれました。
彼らは小澤征爾を師と仰ぎ、また目指すべき目標としました。

その稀有な才能で西洋音楽に金字塔を打ち立てた小澤さんもまた、ただ単に日本人としてだけでなく、
東洋人、そしてアジア人として世界への道を切り拓くことにとても誇りを感じていたようですね。

音楽を通じて素晴らしい感動をありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。

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